エンジンが、かかる。ただ、それだけのこと。
——一秒にも、満たない。あなたは、何も、考えていない。
かからない朝なんて、想像したことも、ない。
——だって、昨日も、その前も、ちゃんと、かかったのだから。
鍵をひねる。うんとも、すんとも、言わない。
——その時はじめて、気づく。どれだけ、それに、頼っていたかに。
間に合った朝。駆けつけた夜。
——その全部の、いちばん最初に、あの半秒が、あった。
面接に向かった、朝も。しばらく会えていない親に、会いにいく高速でも。
——車は、ちゃんと、動きだした。だから、あなたは、行けた。
かかるかな、と、身構えたことすら、ない。
——その"疑わなくていい"が、どれだけ、贅沢なことか。
あなたが、気にとめたことも、ない場所。
——鍵の奥。エンジンの、さらに、奥。
火花と熱を、毎回、受け止める、小さな一片。
——それを、あなたの顔も知らない誰かが、型に、樹脂を、込めていた。
目立つ仕事じゃない。誰にも、褒められない。
——それでも、あなたの朝が狂わないように、今日も、黙って、型と向き合っている。
考えなくていい、ということ。それこそが、誰かの、静かな仕事の、成果だ。
当たり前に動きだす毎日を、
どうか、当たり前だと、
思っていてほしい。
気づかれないことが、いちばんの、誇り。
——あなたが、何も考えずに、行きたい場所へ行ける。その毎日を、支える人がいる。