人事評価で、公平に評価し、頑張っている従業員に高い還元をしていく。

とても、素敵なことだと思います。

私自身も、誰が見ても納得のいく、客観的事実に基づいた評価制度を導入し、スタッフに迷いが出ないよう工夫を凝らしていた時期がありました。

その中で、本当に良かったことと、私の認識が甘かったことを、今日はお伝えしたいと思います。

もしいま、貴社で人事評価制度を導入・運用しておられたり、これから設計を考えておられるなら、私が遠回りで気づいたことを、先にお話しできれば幸いです。

私が、人事評価制度の導入に踏み切ったきっかけ

弊社が評価制度の導入に踏み切ったのは、コロナによりリモートワークを余儀なくされたタイミングでした。

人と人が接する機会が、急に少なくなった。

ノートパソコンの画面に並ぶ、ビデオ会議の参加者たち
画面越しでしか、顔を合わせなくなった お互いの働きぶりが見えにくくなったからこそ、きちんと「承認」し合える仕組みが必要だと考えました。

だからこそ、お互いの働きをきちんと「承認」し合えるシステムが必要だと考え、人事制度ならびに人事評価の導入に、本気で力を入れたのです。

会社の方針通りに働いてくれているスタッフが、正当に報われる。

そんな仕組みを、何としても用意したい。

その想いに、嘘はありませんでした。

人事制度を組むうえで、私が意識してよかった3つのこと

制度そのものの良し悪しというより、設計するときに自分が意識していてよかったな、と振り返れることが、いくつかあります。

あくまで「私が、こう運用していて助かった」というレベルの話なのですが、ご紹介します。

私が意識してよかったこと

  • 評価の尺度が、人によってブレないように、誰が見ても判定が割れない評価項目に整えること。
  • その評価を得るためのエビデンスを、他のスタッフからも見える形にして、判断の透明性を保つこと。
  • 達成率の低い項目には、その評価にたどり着くまでの中間地点の項目を後から足していき、制度を放置せずアップデートし続けること。

このあたりは、いまふり返っても、やっておいてよかったと思える運用上の工夫でした。

制度設計そのものの完成度としては、確かに前へ進めた手応えがあります。

私が抱えていた、4つの勘違い

ところが、です。

制度の精度を磨いていく中で、私自身がいつのまにか、いくつもの「勘違い」を、信じ込んでしまっていました。

振り返ると、こんな思い込みです。

私が信じていた、4つの思い込み

  • 評価に応じて報酬が高くなるのだから、スタッフのモチベーションは、当然のように上がるだろう。
  • 一定以上の報酬を得るには、マネージャー職になってもらうしかない。だからこそ、その力をつけるための評価制度を組もう。
  • 利益を多く獲得している部門には、多くの還元をするのが、フェアというものだ。
  • 階段形式で、成長してほしい要素を評価制度に組み込めば、スタッフは自然と、その階段を上って成長してくれるだろう。

どれも、論理としては、決して間違っていません。

本でも、研修でも、こうした考え方は推奨されています。

けれど、現実は、まったく違う形で動いていました。

現実に起きた、社内の不協和音

制度を磨き込むほど、なぜか、社内に小さなきしみが増えていきました。

現実に起きていたこと

  • 冷静に考えれば、これまで会社が掲げてきた方針通りに働けば、給料が上がるはずの評価制度に改良された。にもかかわらず、エース職員から不満が出る。「もしこれができなかったら、給料が下がるということですよね?」と、これまで普通にできていたことに、突然指摘が入る。
  • これまでと同じように働く方が、結局多い。すると「理由もわからず、報酬が下がった」という認識が、静かに生まれ、不満として積み重なっていく。
  • エース職員が、必ずしも、会社の仕組みのなかで「マネージャー」に向いているとは限らない。むしろ、そのポジションに置いた瞬間、本来の輝きが失われていく方もおられる。
  • 利益を出している部門に配置される人材と、そうでない人材。本人の努力では動かせない「運要素」に対する不満が、じわじわと社内に広がる。
  • そもそも、人の成長は、自分のコントロール範囲の外側にあります。成長するかどうかだけではなく、どんな手順や気づきで成長するかまで、誰にもコントロールできません。

制度の精度は、確かに上がっている。

けれど、社内の空気は、確実に冷えていく。

このギャップが、私には長らく、理解できませんでした。

思い込み評価に応じて報酬が上がれば、モチベーションは当然上がる

現実エースから「できなかったら給料が下がるのか」と不満が出る。これまで通りに働く人には「理由もわからず報酬が下がった」という認識が積もる

思い込み一定以上の報酬を得るには、マネージャー職になってもらうしかない

現実エースがマネージャーに向いているとは限らない。その席に置いた瞬間、輝きを失う人もいる

思い込み利益を多く出す部門に多く還元するのが、フェアだ

現実本人の努力では動かせない「どの部門に配置されるか」という運への不満が広がる

思い込み成長の階段を制度に組み込めば、人はその階段を上っていく

現実どんな手順や気づきで成長するかまで、誰にもコントロールできない

4つの思い込みと、現実に起きたこと どの思い込みも、論理としては間違っていません。けれど、制度の精度が上がるほど社内の空気は冷えていきました。

最大の勘違い ──
スタッフは「評価のために」働いていない

あるとき、私はようやく、ひとつの事実に気づきました。

それは、至極当たり前のことなのに、当時の私には、どうしても見えていなかったことです。

スタッフはそもそも、評価のために、その会社で働いているわけではない。

ましてや当時の私は、こうも思っていました。

「評価制度があったほうが、もっとスタッフは喜んでくれるはずだ」と。

けれど実際には、スタッフは「評価」を求めて、その会社の門を叩いたわけではなかったのです。

では、何を求めて、入社してくれていたのか。

採用時、弊社はスタッフに対して、こう伝えていました。

「弊社は、1ユーザーに焦点を当てた、ユーザーバリューファーストの会社です」

その方針に、深く共感していただいた上で、入社いただいていたのです。

つまり、スタッフは、給与や評価そのものではなく、その方針に身を寄せたいと思って、私たちの会社を選んでくださっていた。

その大前提を、私はいつしか、見失っていたのです。

スタッフにとっての、本当のご褒美

いま振り返ると、スタッフにとっての一番のご褒美は、評価制度の数字でも、報酬の額でもありませんでした。

共感した会社の方針を、自分自身の手で実行できている、という「実感」。

結局のところ、これがいちばんだったんじゃないか。いまになって、そう思います。

もちろん、スタッフが仕事中に余計な心配事を抱えずに、会社の方針に思考を全集中できるだけの、相応の報酬は必要です。

ただ、思っていた以上に、スタッフはそれ以上の報酬還元を求めていなかった。

これが、いまの私の率直な実感です。

  1. 本当のご褒美共感した会社の方針を、自分自身の手で実行できている実感
  2. 土台として必要なもの余計な心配事を抱えずに、方針へ全集中できるだけの相応の報酬
報酬は土台。本当のご褒美は、その上にある 土台より上の報酬還元は、思っていたほど求められていなかった

もし、報酬がいちばんの動機であるならば、別の会社にもっと条件のよい会社はいくらでもありますし、独立してご自身でやられればよいわけです。

それをせずに、あえて「会社」という組織に属するということ自体が、すでに大きなヒントでした。

自分ひとりの力では、どうしても得られない「実感」がある。

同じ方針を持った仲間と、同じ方向を向いて、ひとりのお客様の未来を変えていく実感。

スタッフが本当に欲しがっていたのは、その実感そのものだったのではないか。

人事制度は「人を評価する仕組み」ではなく「環境を整備する手段」

こうした経験を経て、私は人事制度の意味を、改めて捉え直しました。

人事制度はあくまで、本来備わっている人材の能力を発揮するための、「環境を整備する手段」のひとつである。

そして人事評価は、本来であれば、こんな意味が込められているべきだと考えています。

会社のビジョンを成し遂げるために、評価項目にある行動を実行してくれる人材が、ありがたい。

評価項目とは、本来「会社のビジョンに沿った行動の翻訳」であるべきです。点数をつけるための道具ではなく、ビジョンを日常の動きに翻訳した約束ごとです。

経営状況は、経営者である自分に任せてほしい。

数字や利益、外部環境の変化は、経営者が背負うべき領域です。スタッフがそこに振り回されない「壁」を、経営者が引き受ける覚悟こそが、制度の前提条件です。

だからこそ、安心して、目の前の仕事に集中して働いてほしい。

人事評価が運営する、本当のメッセージは「安心して、ここで自分の力を発揮してほしい」という一文に集約されると、私は感じています。

経営者が引き受ける

経営状況(数字・利益・外部環境の変化)

スタッフが振り回されないための壁

スタッフが集中する

評価項目にある行動=会社のビジョンを日常の動きに翻訳した約束ごと

安心して、目の前の仕事で自分の力を発揮する

経営者が引き受けるものと、スタッフが集中するもの 人事評価に込めるべきメッセージは「安心して、ここで自分の力を発揮してほしい」という一文に集約されます。

この前提なしに、評価項目だけを精緻にしていっても、人は動きません。

むしろ、精緻にすればするほど、社員は「点数のために働く生き物」へと、静かに変わっていってしまうのです。

これは制度の問題ではなく、運用する側の「意図」の問題でした。