「お客様のためになることなら、自由にやっていい」。社員を信じて任せたい経営者ほど、この言葉を口にします。細かく指示するより、現場の判断を尊重したい。社員を大切にしたいという気持ちから出る、まっとうな方針です。

ところが現場では、この一言が「正解は自分で探せ。外したら自分の責任」と聞こえていることがあります。任されたはずの社員が、判断のたびに社長の顔色をうかがい、結局は前回と同じやり方か、いちばん怒られなさそうなやり方を選ぶ。任せるほど、現場は迷っていきます。

この記事では、なぜ任せるほど迷うのか、任せる前に社員に何を渡しておけばいいのか、その基準をどこから見つけてどう現場に届けるのかを順にお話しします。

なぜ任せるほど現場は迷うのか

理由は3つあります。

「お客様のため」には正解がない

同じ場面でも、お客様のためになる行動は1つではありません。閉店間際にいらしたお客様をお迎えするか、お断りするか。値引きを頼まれたら応じるか、別のご提案をするか。お迎えするのもお客様のためですし、お断りして翌日に万全の準備でお迎えするのもお客様のためです。

「お客様のためなら自由に」という方針はどちらの答えも支えてしまいます。答えを決めてくれない方針だけを渡されると、現場は混乱します。これは、私がセミナーで最初にお話ししていることのひとつです。

お客様の言葉どおりに動くとかえって外れる

お客様の要望にそのまま応えることが、お客様のためになるとは限りません。

よく知られた話があります。あるハンバーガーチェーンが「健康的なメニューがほしい」というお客様の声に応えてサラダのメニューを出したものの、大きく売れたのはボリュームたっぷりのハンバーガーのほうでした。お客様はその店に、健康的な食事より、何も気にせず思いきり楽しむ時間を求めていたのです。

お客様が口にする言葉とお客様が本当に買っているものは、ずれることがあります。現場の社員は目の前のお客様の言葉に応えるしかありません。応えれば応えるほど仕事は増え、会社の色は薄まっていきます。

「自分で考えて」と言うほど社員は社長の頭の中を当てにいく

判断の基準が言葉になっていないと、社員が頼れるのは「社長ならどう言うか」という推測だけです。基準が社長という「人」の中にしかない状態です。

すると、社長の機嫌や前回どんな反応をされたかが基準になります。社員が顔色をうかがうのは、ほかに頼れるものがないからです。性格の問題ではありません。社長が不在の日には判断が止まります。

社長からすれば「それくらい自分で考えてくれ」、社員からすれば「考えた結果を否定される」。どちらも誠実なのに、すれ違ってしまうのです。

  1. 1判断の基準が社長の頭の中にしかない
  2. 2社員は「社長ならどう言うか」を推測する社長の機嫌や前回どんな反応をされたかが手がかりになる
  3. 3顔色をうかがい、前回と同じやり方を選ぶ
  4. 4社長がいない日は判断が止まる
基準が「人」にあると現場はこう動く 社員の性格の問題ではありません。頼れるものが社長という人しかないのです。

任せる前に「うちならどうするか」という問いを渡す

「お客様はどうしたら喜ぶか」は、どの会社でも立てられる問いです。そして、答えが人によって割れます。

社長ならどう思うか?当てにいくうちならどうするか社員お客様
任された社員の前にある2本の道 上は社長の頭の中を当てにいく道。答えが見えないまま迷います。下は「うちならどうするか」という道しるべがあり、お客様にたどり着けます。

任せる前に、社員には別の問いを渡してください。

迷ったら、「うちなら、どうするか」で決める。

「お客様のため」の答えは無数にありますが、「うちならどうするか」の答えは1つに近づいていきます。判断の基準が社長という人から会社らしさのほうに移るからです。

あわせて、もうひとつ現場に渡してほしい権限があります。お客様の要望に応えることより、会社らしさを優先してよい、という権限です。うちらしくない要望は断っていい。そう言われていると、社員は全部を引き受けて疲れ果てずに済みます。

私はよくフェラーリのたとえでお話しします。フェラーリは「うちはこういう車です。欲しければどうぞ」と言える会社です。だから、お客様に合わせて無理に形を変える必要がありませんし、押しつけがましくもなりません。すべてのお客様に好かれようとすると、かえって誰の心にも残らなくなります。誰かには合わないことを、会社として受け入れる。それが現場の迷いを減らします。

お客様のためなら、自由にやっていい

迷ったら、うちならどうするかで決めていい

それくらい、自分で考えてくれ

うちがお客様に選ばれている理由は、これだ

お客様の要望にはできるだけ応えよう

うちらしくない要望は断っていい

任せる範囲より先に判断の基準を渡す 左は答えを社員ひとりに探させます。右は会社として答えの方向を先に決めています。

基準はお客様が選んでくれた理由から探す

「うちならどうするか」を社長のこだわりで決めてしまうと、社員には社長の好き嫌いに見えます。そうなると、また社長の顔色をうかがう状態に戻ってしまいます。

こだわりの問いは「自分がいいと思うか」です。基準の問いは「お客様は、なぜうちを選んでくださるのか」です。同じ「うちらしさ」でも、出発点がまったく違います。

社長のこだわりから決める

  1. 問い:自分がいいと思うか
  2. 社員には社長の好き嫌いに見える
  3. また社長の顔色をうかがう状態に戻る

お客様が選んでくれた理由から決める

  1. 問い:お客様は、なぜうちを選んでくださるのか
  2. 社員もお客様の言葉で確かめられる
  3. 社長がいなくても、社員が自分で使える
同じ「うちらしさ」でも出発点が違う 基準の材料は社長の頭の中ではなく、お客様の言葉と会社がこれまで続けてきた当たり前の中にあります。

材料はすでに会社の中にあります。毎日くり返していることは当たり前になりすぎて、中にいる人ほど見えなくなります。けれど、その当たり前こそが長く続いてきた会社の芯です。探すときは次の3つを手がかりにしてください。

  • ほかの会社を選ぶこともできたのに、うちを選び続けてくださっているお客様が、何を喜んでくださっているか。いただいたお礼の言葉やメールを読み返す
  • これまでに「うちはやらない」と決めてきたこと。やらないと決めた判断には、会社らしさが色濃く残っている
  • 社員が「これはうちらしい」と少し誇らしげに話す場面

基準は新しく作るものではありません。もうあるものを社員が使える言葉にするものです。

基準は教えずに持たせる

基準ができると、研修で覚えさせたくなります。私は教育を義務にしないことをお勧めしています。会社は学校ではないからです。覚えさせるほど、基準は「守らされるルール」になり、また顔色をうかがう材料に戻ってしまいます。

そのかわり、カードのように持ち歩ける形にしてください。カードは覚えるためのものではありません。「これを持っている自分」になるためのものです。お客様や同僚から「あなた、あのカードを持っているでしょう」と言われたとき、少しどきっとする。それくらいでちょうどいいのです。

基準に沿って判断してうまくいかなかったときの扱いも大切です。責めずに、お客様が本当に求めていたものを知る手がかりにしてください。外れた判断を会議で共有すると、基準は少しずつ育っていきます。基準どおりに動いて責められた社員は、次から基準を使わなくなります。

基準があると社長がいない日に何が起きるか

私の会社で起きたことを2つお話しします。

ひとつは、私が2週間ほど連絡の取れない状態になったときのことです。スタッフが自分たちで判断して決め、別の発注先を探してくれていました。

もうひとつは、時給1,200円で入ったスタッフのことです。お客様の求めていることを自然に引き出し、2,000万円以上の追加のご依頼につながりました。

どちらも私が指示したことではありません。「うちならどうするか」が共有されていたから、社長がいなくても、社長が頼んでいなくても、現場が動いたのだと考えています。

任せたあとに社長は現場から離れるのか

「任せる」と決めると、社長は現場に顔を出さないほうがいいのでは、と考える方もいらっしゃいます。私は現場に行くこと自体はやめなくていいと考えています。変えるのは、現場に行く理由です。

指示を出しに行く、確認しに行く、という理由で社長が現場に来ると、社員はまた社長の顔色を見始めます。社長が現場に行く理由は、お客様がなぜうちを選んでくださっているのか、そのヒントを拾うことにしてください。社長は現場からお客様の言葉を持ち帰ります。

拾ってきた言葉は基準を育てる材料になります。「このあいだ、あのお客様がこんなことをおっしゃっていた。うちらしいと思った」と社長が話すと、社員も同じ目でお客様を見るようになります。

間に立つ管理職には何をお願いするか

社員が20人、30人と増えてくると、社長と現場のあいだに管理職が入ります。管理職の方が「正解を教える人」になると、今度は管理職の顔色をうかがう組織になります。

私は管理職の方に、部下の力を引き出すことをお願いしています。野球部のマネージャーを思い浮かべてください。マネージャーは選手にバットの振り方を教えません。選手が野球に集中できるように、道具をそろえ、練習の段取りを組み、余計な心配ごとを引き受けます。

練習前の野球部のベンチに並べられたバットと水のタンク
選手が野球だけに集中できるように マネージャーの仕事は教えることより整えることです。

会社の管理職も同じで、部下を育てようと教え込むより、部下が目の前のお客様に集中できるように、仕事の配置と環境を整えることが大切です。誰にどのお客様を担当してもらうか、何を気にしなくていいようにするか。そこに管理職の腕が出ます。

判断に迷った部下から相談を受けたときも、管理職が答えを出すより、「うちなら、どうすると思う?」と問い返してもらうのがお勧めです。答えを出すのは部下で、管理職はその判断を支える役に回ります。

任せたあとの社長の仕事はみんなが作ってきたものを守ること

基準を渡したあと、社長の仕事は「これをやるぞ」と引っ張ることだけではありません。社員とお客様が一緒に作ってきたものを守ることも、社長の仕事です。

特に、社長自身が基準に合わない指示を出さないよう気をつけてください。今月の売上が足りないからと一度でも基準を曲げると、社員はその一回で「基準より社長の都合が上なんだ」と学びます。基準は、社長が守っている姿を見せたときにだけ現場で使われます。

社長が守る

社員とお客様が一緒に作ってきたもの(判断の基準)

社長自身が基準に合わない指示を出さない

今月の数字の都合で基準を曲げない

社員が決める

目の前のお客様への対応

迷ったら「うちならどうするか」で決める。外れても責められない

社長が守るものがあるから社員が決められる 社長が基準を一度でも曲げると、社員は「基準より社長の都合が上だ」と学びます。

そのうえで、社員が気にしなくていいことを減らしてあげてください。新しいルールを足すより、「これもやめていい」「これも気にしなくていい」と伝えるほうが、社員は目の前のお客様に集中できます。何に集中すればいいかがはっきりすると、人は迷わずに動けるからです。

最近、社員から「これ、どうしたらいいですか」と聞かれた場面を1つ思い出してください。そのときの答えを「うちなら、こうする。お客様がうちを選んでくださる理由はこれだから」という形で1行書いてみてください。それが社員に渡す最初の基準になります。

ここでお話しした「うちならどうするか」で判断する組織づくりは、ブランドから逆算して組織を設計する「ブランドエクスペリエンス経営」の中心にある考え方です。全体の流れは下のセミナー動画でご覧いただけます。