経営理念が浸透しない理由の多くは、社員が迷ったときに理念を判断に使えない形のままになっていることにあります。理念を覚えていても、目の前の二つのやり方のどちらを選ぶかを決められなければ、社員は理念を使いません。
朝礼で唱和し、壁に貼り、カードを配っても、社員の動きが変わらない。そう感じている経営者の方は少なくありません。この記事では理念の浸透を調べた研究や中小企業白書のデータをもとに、浸透しない理由と、理念が現場で使われるようになるまでの手順を紹介します。
迷ったときに使えない形のままでは経営理念は浸透しない
理念が「浸透している」とは、社員が理念を言えることではありません。社員が仕事で迷ったときに、理念に照らして判断できる状態のことです。理念の浸透を調べた研究では、浸透の深さを4つの段階で捉える考え方が紹介されています(松岡久美氏の4段階。高尾義明・王英燕「経営理念の浸透次元と影響要因」『組織科学』44巻4号、2011年での引用)。
- 1言葉を知っている唱和できる。壁やカードに書いてあることを言える
- 2具体例を知っている理念どおりに動いた先輩や社長の場面を、話として知っている
- 3自分の言葉で言える自分の仕事に引き寄せて理念を説明できる
- 4行動に結びついている迷ったときに理念に照らして判断し、動いている
経営者の方から「理念は全員言えるのに、浸透していない」とご相談を受けることがあります。それは1段めまでは届いていて、4段めに届いていない状態です。4段めに届かない理由のほとんどは、理念の言葉が目の前の判断に使える形になっていないことです。
理念を共有する会社ほど売上が伸びているが、多くの会社で浸透していない
理念を社員と共有することには意味があると考えられます。中小企業庁の『2025年版 中小企業白書』は、帝国データバンクが2024年11〜12月に行った調査をもとに、経営理念・ビジョンを社員と共有している事業者の売上高増加率(2018年から2023年、中央値)が8.1%、共有していない事業者は2.4%だったと示しています。
一方で、理念が社員の行動にまで届いている会社は多くありません。パーソル総合研究所が2023年4月に、会社で理念を浸透させる取り組みが行われている20〜59歳の正社員に聞いた調査では、理念の内容を「十分理解している」は41.8%、「同意できる」は44.5%でした。実践や習慣の段階はさらに低くなっています(パーソル総合研究所「企業理念と人事制度の浸透に関する定量調査」。調査会社のモニターを使ったインターネット調査)。
経営理念が浸透しない5つの理由
研究や調査の結果と、私が経営者の方と話していて見かける場面を合わせると、理念が浸透しない理由は次の5つにまとまります。
| 理由 | 現場で起きていること |
|---|---|
| 判断に使えない言葉になっている | 「誠実」「挑戦」「お客様第一」は正しいが、二つのやり方のどちらにも当てはまる。迷ったときに答えが出ないので、社員は上司に聞く |
| きれいごとに聞こえる | 現実の仕事の厳しさに触れていない言葉は、社員に「きれいごと」と受け取られる。パーソル総合研究所の調査でも、理念へのネガティブな印象でいちばん強かったのは「綺麗ごと感」だった |
| 主語が会社になっている | 「わが社は〜を目指す」という書き方だと、社員には会社から求められている言葉に聞こえる。言われた範囲でしか守られない |
| 評価や数字と食い違う | 理念で「お客様のために」と言いながら、評価は売上の達成率だけで決まる。社員は評価されるほうを選ぶ |
| 上司が使っていない | 課長やリーダーが部下の相談に理念で答えていない。社員は理念より上司の判断のしかたを見て覚える |
社長が語るより課長・リーダーが使うほうが浸透する
5つめの理由については、はっきりした調査結果があります。パーソル総合研究所の同じ調査では、理念を浸透させる取り組みに「課長・リーダー」や「従業員の家族」が登場すると、浸透にプラスの影響が見られました。一方で、社長・会長・CEOといった組織のトップが登場しても、浸透へのプラスの影響は確認されませんでした。
社長が理念を語ることが無駄だという意味ではありません。社員は、毎日の相談や判断の場面で身近な上司が理念を使っているのを見たときに、理念が自分の仕事に関わるものだと感じます。社長の役割は理念を語ることに加えて、課長やリーダーが理念を使える状態を整えることにあります。
社員向けには社員が普段使う言葉で伝える
理念がきれいごとに聞こえる理由のひとつは言葉の選び方です。経営者が使う「ブランド」「ビジョン」「ステークホルダー」のような言葉は、現場の社員には自分とは遠い言葉に聞こえることがあります。私は社員に向けて理念を話すときは、社員が普段の仕事で使っている言葉に置き換えることをお勧めしています。「ブランド」と言うより、「うちらしさ」「うちの仕事の質」と言うほうが、社員は自分の仕事の話として聞けます。
唱和やカードを配るだけでは理念は行動に表れない
理念を浸透させる方法として、朝礼での唱和、額やパネルでの掲示、カードの配布がよく紹介されます。けれど、こうした「毎日理念に触れる」取り組みが理念を行動に表すことにつながるかどうかを調べた研究では、効果が確認されていません。
野林晴彦氏の研究(2015年)は、上場企業2,443社に調査票を送り、回答した131社(各社の広報担当者1人が回答)のデータを分析しました。理念がマネジメントや製品・サービスに表れているかどうかに影響していたのは、人事制度と理念を学ぶ研修でした。唱和・掲示・カードの携帯といった日常的に理念に触れる取り組みには、はっきりした効果が確認されませんでした(野林晴彦「理念浸透における理念内容と浸透策、浸透度、成果」『経営戦略研究』15号)。
唱和やカードがまったく無駄だということではありません。言葉を覚えてもらう段階には役立ちます。ただ、それだけで行動は変わりません。人事制度に理念を反映させる、理念を自分の仕事に当てはめて考える場をつくる。理念を行動に結びつけていたのはこうした仕組みのほうでした。
理念の理解は行動したあとで深まる
多くの会社は理念を「まず理解してもらい、それから行動してもらう」順番で浸透させようとします。ところが、2つの会社の社員1,700人あまりを調べた研究では、順番が逆でした。
高尾義明氏と王英燕氏は、中堅の生産財メーカー(699人)と大手の卸売会社(1,019人)の社員を調べ、理念の浸透を「賛同」「行動への反映」「深い理解」の3つに分けて関係を分析しました。どちらの会社でも、理念に賛同している人ほど理念を行動に反映しており、行動に反映している人ほど理念を深く理解していました。理解は行動したあとで深まっていたのです(高尾義明・王英燕「経営理念の浸透次元と影響要因」『組織科学』44巻4号、2011年)。
この結果からは、理念を完璧に説明してから動いてもらうより、小さな場面で理念を使ってもらうほうが早いと言えます。迷った場面で一度でも理念に照らして判断し、それがお客様に喜ばれる経験をすると、社員はその理念の意味を自分の言葉で理解し始めます。そのきっかけは身近な上司の姿勢がつくります。上司が理念を大切にしている姿は、社員の賛同にとくに強く結びつき、行動にも直接つながっていました。
経営理念は判断の場面に組み込む6つの手順で浸透させる
私は、理念を新しくつくり直すより、今ある理念を社員が迷ったときに使える形にして仕事の場面に組み込む進め方をお勧めしています。
- 1理念をお客様の話に言い換える「この理念どおりに働くと、お客様はどうなっているか」を一文にする。選び続けてくださるお客様の言葉から書く
- 2迷ったときに答えが出る問いにする「この対応で、お客様はその姿に近づくか」。二つのやり方のどちらかを選べる形にする
- 3社員が普段使う言葉に直すきれいごとに聞こえる言葉や経営者だけが使う言葉を、現場の言葉に置き換える
- 4課長・リーダーが相談への答えに使う部下から相談されたら、「理念に照らすと、どうするのがいいと思う?」と問い返す
- 5評価と追う数字を理念にそろえる理念に沿った判断を評価し、理念と食い違う数字は追わせない
- 6理念で判断してお客様に喜ばれた場面をみんなで話す会議の最初の5分や朝礼で、理念が使われた場面を1つ紹介する
理念はお客様の話に言い換えると使われる
手元の理念が「わが社は誠実を旨とし、社会に貢献する」のような書き方なら、主語は会社です。社員がその言葉を自分の仕事に当てはめるには、「誠実に働くと、目の前のお客様はどうなっているのか」まで落とす必要があります。私は理念を、お客様がうちと関わって手に入れたい姿に言い換えることをお勧めしています。お客様の話になると、社員は会社に求められている言葉ではなく、目の前の人のための言葉として理念を使えるようになります。
言い換えの材料は新しく考え出すものではありません。価格では勝っていないのに選び続けてくださるお客様、辞めずに働き続けてくれている社員。そこにはすでにその会社にしかない理由があります。会社の中にいる人ほど当たり前になって見えなくなっているだけです。
理念が使われた場面を話としてみんなで共有する
浸透の4段階のうち「具体例を知っている」段階に届くには、理念が使われた場面を知ることが欠かせません。理念どおりに動いてお客様に喜ばれた場面を、会議や朝礼で紹介してください。紹介された社員にとっては報われる時間になり、聞いた社員にとっては理念をどう使えばいいかの見本になります。
迷ったときに答えが出る言葉にまとめ、持ち歩ける形にしたものはクレドと呼ばれます。理念を迷ったときの短い言葉に落とし込みたいときは、迷ったときに答えが出るクレドの作り方をご覧ください。
お客様から逆算して社員の判断の基準をつくり、現場に根づかせるまでの全体を、セミナー動画にまとめています。スキマ時間でご覧いただけます。
セミナー動画を見る浸透したかは理念に照らして判断した場面を聞いて確かめる
社員に理念を言えるかを聞くより、「最近、理念に照らして判断した場面はありますか」と聞いてください。具体的な場面が出てくれば、浸透の4段めに届き始めています。社長に持ち込まれる相談が「これでいいですか」から「こうしようと思います」に変わることも、目安になります。
京セラと伊那食品工業は理念で判断し、制度も理念に合わせて選んでいる
理念を日々の判断に使っている会社として、京セラと伊那食品工業が知られています。どちらも理念を掲げるだけでなく、判断や制度を理念に合わせています。
京セラは「人間として何が正しいのか」を判断の出発点にしている
京セラは京セラフィロソフィの中心に「人間として何が正しいのか」という原理原則を置き、日々の業務をこの土台から始めるとしています。きっかけは創業3年目、将来の保証を求める若手社員から団体交渉を受け、「会社は何のためにあるのか」を問われたことでした。創業者の稲盛和夫氏は悩んだ末、会社の目的を「全従業員の物心両面の幸福を追求する」ことだと定めました(京セラ「京セラフィロソフィの実践」・「京セラフィロソフィの原点」)。社員との対話の中で、判断の拠りどころとして理念が生まれた例です。
伊那食品工業は理念に合わせて人事制度を選んでいる
寒天メーカーの伊那食品工業は、「いい会社をつくりましょう」を社是に掲げています。会社のホームページでは、判断の基準を社員の幸せに置けば答えはおのずと出る、だからリストラや給与カットといった発想は出てこない、という考えを示しています(伊那食品工業「経営理念」)。理念が判断を決め、制度もその判断に合わせて選ばれています。研究で効果が見られた「人事制度に理念を反映させる」を、会社全体で行っている例です。
2社はどちらも、理念を額に入れて飾るものではなく、迷ったときに答えを出すための道具として使っています。社員数が少ない中小企業なら、社長自身が毎日の判断で理念を使う姿を、社員全員に見せることができます。